須磨の夏2017

須磨の鉢伏山(左側の大きな山)と須磨海づり公園の受付棟をバックに記念撮影。下は同園と平磯海づり公園、マリンピア神戸 魚の学校の、秋の行事予定です!
須磨の鉢伏山(左側の大きな山)と須磨海づり公園の受付棟をバックに記念撮影。下は同園と平磯海づり公園、マリンピア神戸 魚の学校の、秋の行事予定です!

 

 さて、恐縮ですが、夏の備忘録です。

 

 今年のお盆には、関西の釣りメディアの大ベテランで私が学生時代に所属した「釣研究会」の初代会長でもある八木禧昌さんにお誘いいただき、「神戸市立須磨海づり公園」恒例の “魚の供養・安全及び豊漁祈願” を訪ねました。昨秋に開園40周年を祝う釣り大会が開催された同園ですが、魚の供養も、今年で実に39回目なのだそう。八木先輩は、なんと第1回目からずーっと参加され皆勤とのことで、驚きでした。行事の終了後、少し園内を見学した八木先輩は「僕はね、暑いのは嫌いなんだよ」とおっしゃり、すぐにお帰りになられました。

 

 何度かこの欄でふれましたが、私は幼少期に冒頭写真の右端にチョコっと見えている「鉄拐山」のふもとの木造アパートに住んでいました。窓からは淡路島と行き交うフェリーが見おろせ、町内には西洋人が建てた洋館がわずか数棟ですが残っていました。この周辺は須磨浦を見下ろせる景勝の地で、その昔には神戸を訪れた裕福な西洋人の別荘がポツポツありました。今から半世紀前にはそんな雰囲気がかろうじて残っていたのです。

 

 当時、アパートの裏手(山側)には「南洋植物園」という私営の小さな植物園と、植物園の管轄となっていた小さな洋館が存在しました。その洋館は植物園の管理人のおじいちゃん(二人いらっしゃった)がお昼ご飯を食べたりする休憩場所として利用されていて、そこから上は、本当の山が迫っていました。アパートは町内の住居のなかでも一番高台にたっていました。隣接していた洋館の庭と植物園の敷地内で近所の子供らは走り回り、それはそれは自由に遊びまわっていました。大らかな時代だったので、管理人のおじいちゃん達は、子供らが遊ぶのをお目こぼししてくれたわけです。洋館の庭へは、ビートルズのストロベリーフィールズのモチーフとなった孤児院の門と、本当にそっくりの門を通って入ります。門をくぐったら、素敵な石の階段のある芝生の庭があったんです。その庭では休日になると、植物園のお客さんの若いカップルがシートを広げてお弁当食べて楽しそうにしているのを、よく見た記憶があります。

 

 隔絶された谷間から見える濃密な緑と須磨の海の青。見上げれば、鉢伏山の尾根ぞいを展望台までのぼっていくロープウェイ。ヒキガエルの真っ黒なオタマが泳ぐ植物園の池と、なぜかたくさんいた噛みつかれると痛いハンミョウのメタリックな青い輝き。わずかな年数しか暮らさなかったにもかかわらず、そのときのイメージは年々鮮明になり、未だに色褪せません。昭和の幸せな記憶です。どれだけ須磨が好きかといえば、琵琶湖に負けないくらいです。02号の「電車で行け!」で須磨を訪ねたのも、この辺りには特別な想いがあるからです。

 

 そんな大好きな須磨にデザイナーのY氏とこの夏キスを狙いに行ったのですが、現地で非常に残念なプレートを目撃して、ガックリでした。JR須磨駅前の浜一体が、釣り禁止となったことが記されていたのです。釣り好きな神戸市民にとっては、まるで悪夢。たまにおじゃまして、静かに釣りをさせてもらっていた我が身にとっても、晴天のヘキレキです。

 

 定期的に須磨の浜辺を訪ねては、地元の釣り人と言葉を交わすのが、密かな楽しみでした。ある年配の方は神戸の中央市場にお勤めとのことで、ウキから仕掛けからみんな手作りで「ここで若い頃からずっと釣りをしている」とおっしゃっていました。他にもあんな方やこんな方、たくさんの方とお話してきました。みなさん地元の海を愛し、静かに釣りをされていました。学生時代に地元漁師さん一家が経営する海の家で一夏のバイトをしたこともあり、仕事が終わったら目前の小さな波止でルアーを投げて、タチウオを釣ったものでした。また、冬にはメバルを釣りに通っていました。

 

 そもそも兵庫は「入り浜権」誕生の地。自然な状態の須磨浦の浜辺は古来、誰もがその美しさを享受できた、自由な聖域だったはずです。一時は水も汚れてましたが近年は水質もずいぶんよくなり、海辺にある須磨駅の周辺は陽気な住人が多く人懐っこい温かな雰囲気が魅力でした。行政側が「市民のため」とかいいながらなんでもかんでもキレイにして管理してあれこれ禁止してみたいなんは、全くそぐわないような気がします。

 

 その後ネットでいろいろ調べてみると、須磨駅周辺は釣り禁止ではないことが明らかになったと、有名人気ブログで紹介されていました。私が目撃したプレートは、夏の間にすぐに撤去されたそう。ただし、予断を許さない状況のようです。

 

 釣りを楽しむ権利を簡単にうばっていいものではないと、心底思います。しかし、いずこも釣りがしづらい雰囲気が漂う昨今です。釣り人側も襟元を正すべきところはちゃんとしないと、ますます息苦しくなってしまうのでしょう。ただ、釣りというものは本来、古くから多くの市井の人に愛されてきた、ささかな楽しみだったはずです。一部の人の判断だけで、簡単に禁止にしてしまっていいはずがない。特に須磨から明石にかけては、一生釣りがしたいがために移住したという方もたくさんいらっしゃる釣りが盛んな地域です。ため息が出てしまった2017年、須磨の夏でした。

  

岸壁に埋められたプレートでガーンとなったキレイな夕暮れ時!
岸壁に埋められたプレートでガーンとなったキレイな夕暮れ時!